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演技〜いろんな人になってみよう〜
役者は舞台の上で演技をします。
その演技で、お客さんを、泣かせ、笑わせ、感動させます。
舞台上の役者の演技が素敵であればあるほど、
お客さんは役者が演技しているというのを忘れて、
役の人物がそこで息をしているように感じます。
では、当の役者は、どんなふうに感じながら演技しているのでしょう?
どのようにして役の人物を創りあげているのでしょう?
役の創り方は、役者によってまちまちだと思います。
また、作品によっても、役柄によっても創り方が違ってきたりもするでしょう。
役に近づいて行く人、役を自分の方に引っ張ってくる人…色々です。
どんなに創りこんでいっても、どこかしらにその人らしいところが残って、
それが個性で魅力となる部分になるのだと思います。
そうした個性を良い形で生かしつつ、
「あの役とこの役とでは全然違って見えたねぇ!」
といわれるような演技をしたいなぁ、と、かなり大変なことを思ってたりします。
「何をやっても同じには見えるけれど、
あの人が全面に出てるから素敵なのよねぇ〜。」
というのも、ひとつのあり方だと思うし、そこまで行ければ
文句なく素晴らしいことでしょう。
しかし、私は、色々なタイプの人物になってみたいので、
役ごとに違った印象を与えられるようになりたいなぁ、
と思っているわけなんです。
でも、私は、どうも役を自分に引き込んでしまうことが多いかも。
どんなにカッコよい服、かわいい服であっても、
身につけてしまうといつも私色!! みたいなもんなのでしょうか。
そんな不器用ながらでも、色々な役を生きることができるっていうのは
楽しいものです。
役者が演技するとき、どんな風に楽しんでいると思いますか?
役になりきって本気で泣いたり笑ったりしていると思います?
NO!!! |
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本気で泣いたり笑ったりしてしまったら、周りが見えなくなって
収拾つかなくなっちゃいますよね。
それは、”演技”じゃあ、ありません。
じゃあ、ウソ泣き?ウソ笑い?
これもNO!!! |
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本当に悲しくなっているんです。涙もにじんできます。
本当に楽しくなっているんです。気持ちがわくわくしているんです。
でも、それを客観的に見ている自分もいるんです。
この辺の感覚、創り方は、役者によって違うのかもしれません。
「感情なんてどうでもいいんだよ。」って言う人もいます。
それは、ある意味、正解だと思います。
役者が悲しくならなくても、お客さんに悲しんでいるように見えれば
良いんですもの。
きっと、正しい動き、正しい心拍数、正しい顔の角度、正しい声の高さ、
正しい話の速度、正しい…、ができれば、
完璧な悲しんでいる人が出来上がる、んだと思います。
でも、こんなに全てを計算しつくして演技するなんて大変なことをするよりも、
感情をさぐって、役の気持ちを作っていった方がはるかに楽だ!
って思うわけです。
なので、感情を考えていくのは、役を演じる上で有益なんですね。
ここでちょっと逆説的に聞こえるかもしれませんけど、
体の方をある状態に持っていくと、それにふさわしい感情が
沸いてくる、ということがあります。
例えば、体に力を入れると、悲しくなったり、怒りがこみ上げてきたり…、
とにかく笑顔を作ってしゃべりまくってみると楽しくなってきたり…。
ということは、つまり、正しい…ができれば、
それにふさわしい感情も生まれるのかもしれませんね。
感情、役の気持ちを考えることと、体の状態を役の状態に持っていくことと、
両方からアプローチしていくのが、よろしいのではないでしょうかねぇ。
「感情なんてどうでもいい!」っていうのも、
こういったことを含んでの言葉なんだと思います。
「感情先行で演じるのはもってのほかだけど、
その感情を感じていないっていうのは違う。」
っていうことです。
そして、この感情を作るっていうのはひとりでの作業じゃないんです。
相手役の人との共同作業。
これが楽しいんです。
相手から思いもかけない大きな感情のうねりがど〜んとくると、
本当に(現実に!)、自分の感情が動くんです。
お互いにこれをやりとりする、
これが会話のキャッチボールってことなんだけど、
これがたまらなく楽しいんです!!
ポンポンッと実に軽やかな掛け合いを楽しむ…。
お互いがしんみりと心を通わす醍醐味を味わう…。
う〜ん、役者冥利に尽きるってやつですよね。
しっかし、これを味わうのはなかなか大変だったりするのです。
精進、精進です!!
演技をするってのは、感じることなんだよねぇ……… |
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